第七部 人類が築いてきた文明のあらすじと到達点
第5章 狭いAI
2つのAI
『人工知能 AI(Artificial Intelligence)』とは何かという問いは一見簡単そうだが、実はそうではない。
この言葉の起源を探ると、AIは1955年頃に科学の一分野として始まった。ダートマス大学で数学の教鞭をとっていたジョン・マッカーシーが、自ら前年に名付けた『人工知能』の可能性と限界を探る会議を主催した。その会議の目的は、「機械に言語を使わせ、抽象化や概念の形成を可能にし、現在は人間にしか解けない問題を解けるようにし、自らを改良していけるようにする方法を明らかにする」ことであった。そして、既に思考する機械の実現について考え始めていた4人のコンピュータ科学者を集めた。マッカーシー自身、マービン・ミンスキー、ナタニエル・ロチェスター、そして先ほどチェスのくだりで登場した、クロード・シャノン、である。
彼らの提案書には1955年当時にしてはずいぶんと「楽観的な」予測が付け加えられていた。「我々は、慎重に選ばれた科学者たちが一夏の間集まって共同作業すれば、これらの課題のいくつかで大きな進歩が得られると考えている」、と。
しかし、マッカーシーは後に、この概念に「人工知能」という名前を付けてしまったことでハードルを上げすぎてしまったと後悔していた。「計算知能(computational intelligence)」と名付けるべきだったと考えていた。多くの同業者も同じ考えを持っており、AIという呼び名から距離を置こうとしている。ただ、そういった人々の中には、AI分野の新領域を切り拓き、そこで第一人者になりたいという、ビジネスがらみのモチベーションを持つ人も多いようである。しかし、ここでは「人工知能」という呼び方を許容し、話しを進めていきたい。
「人工知能」を最も広義に定義すると、「データや環境に対応する能力を持つ技術」である。つまり、雨を感知するセンサーを備えたスプリンクラーも一種の人工知能と言える。より狭い定義では、人工知能は「環境から学習する能力」を指す。この定義に基づけば、ユーザーの好みの室温を学習するサーモスタットは人工知能に該当するが、スプリンクラーシステムは該当しない。
しかし、極めて重要な点として、
人工知能について議論する者たちは、しばしば『狭いAI』と『広いAI』、つまり2つの全く異なる概念を考慮に入れている。
現在のところ、実現している人工知能はすべて「狭いAI」であり、これは「弱いAI(weak AI)」とも呼ばれる。私たちはまだ、この種類の人工知能を構築する方法しか知らないのである。そして、狭いAIは驚くほど便利な存在でもある。
- 狭いAIは、コンピュータに特定の問題を解決する能力、または特定のタスクを達成する能力を付与する。
一方、「広いAI」は3つの呼び名があり、「一般的AI(general AI)」、「強いAI(strong AI)」、そして「汎用AI(artificial general intelligence(AGI))」と呼ばれる。これらの名称はどれも同じ意味を持つが、ここでは『AGI』を用いることにする。
- AGIは人間と同じような知能を持ち、何でも行うことができる人工知能である。
ロボット掃除機ルンバ、Siri、自動運転車はすべて狭いAIによって動かされている。また、将来的に食器を食洗機から取り出す能力を持つロボットが実現した場合、そのロボットも狭いAIによるものとなるだろう。しかし、あなたが未経験の状況に対応可能なロボット版マクガイバー(注233)を望むのであれば、AGIが必要となる。マクガイバーはあらゆる状況に対応可能な人物であるからだ。
(注233)マクガイバーはアメリカのTVドラマ「冒険野郎マクガイバー」の主人公で、様々なトラブルに巻き込まれては創意工夫をこらして解決する。
- 現時点で、AGIは存在していない。
- どうやったらAGIを作れるのか、そもそもAGIを作ることが可能なのかについても、統一見解は得られていない。
ここでは「狭いAI」に焦点を当て、議論を進める。
狭いAIは決して「簡単なAI」ではない。AIの研究に投入される多大な人的資源と莫大な予算のほぼ全ては、この種のAIに投資されている。
現在、私たちは日々AIと接する生活を送っている。この状況に至るまでの道のりは長かった。なぜなら、AIの発展は過去数十年にわたり、開発の遅れから予算削減が行われ、数度にわたって停滞したからだ。この停滞期を「AIの冬」と呼ぶ。新しい技術や手法が開発されてAIに対する熱意が再燃すると、AIの冬は終わる。そしてまた同じサイクルが繰り返される。しかし、現在ではAIが多くの分野で実力を発揮し始め、その重要性が広く認知されているため、二度とAIの冬が訪れることはないとされている。この急速な進歩に基づいて、IBMのCEOジニー・ロメッティ氏は、2021年までに「コグニティブAI(注234)がすべての決定を左右するようになる」と予測していた。
(注234)「コグニティブ(cognitive)」とは、日本語では「認知」に訳される。「認知」は「(人間などが)外部環境の対象を認識し、その性質を理解し解釈するプロセス」を指す。したがって、Watsonのような「認知コンピューティングシステム」は、与えられた情報を単に処理する機械ではなく、人間のように理解し推論し学習するシステムである。
では、AIはどのような機構で動作するのだろうか。AIを作成するには大まかに分けて3つの手法がある。例えば、農家に何時に種を植えるべきかを知らせるAIを作りたいと考えてみよう。
- 1つ目のアプローチは、『古典(クラシック)AI』である。
「古典AI」という名がついたのは、AI研究の最初期に、この手法が最適であるとコンピュータ科学者たちが考えたからだ。古典的AIは、さまざまな要素(土壌のタイプ、穀物の種類、降雨量など)に適切な重みを付けてモデルを作成し、そのモデルに基づいて提案を行う。
- 2つ目は、『エキスパートシステム』である。
「エキスパートシステム」では、優れた農家100人に、彼らが知る植え付けに関する全てのルールを書き出してもらい、それを利用する。このルールを組み合わせてシステムを作り、ユーザが必要な変数を入力すると、システムがそのルールに基づいた提案を行う。
- 3つ目のアプローチは、『機械学習』(注235)である。
「機械学習」は、人間が種を植えたタイミングや収穫量といったデータをコンピュータに投入し、最大の収穫量を生み出すルールをコンピュータが自発的に生成する、ある意味で逆向きのプロセスである。機械学習における難点は、コンピュータが提出する結果が正確であるかもしれないが、人間がその意味を理解することが難しい点である。例えば、「トウモロコシの種は3月12日に植えてください」というAIの助言を受けたとき、その背後にある複数の要素により決定された理由を完全に理解することは難しい。
(注235)経験を基にして自動的に改善するコンピュータアルゴリズム、あるいはその研究領域であり、人工知能の一分野と認識されている。所謂「訓練データ」または「学習データ」を用いて学習し、その結果を活用して特定のタスクを遂行する。
近年のAI研究の進歩は、この『機械学習』という分野の発展によるものである。
- 大規模なデータセット、いわゆる『ビッグデータ』と『高性能なコンピュータ』、そして『高度なアルゴリズム』が結合され、AI分野に新たな活力が注入され、最近では多くの成功が見られるようになっている。
AIの進歩は今後さらに加速すると予想されている。チップ設計者は、ムーアの法則を上回る速度で製品の性能を向上させる努力を行っている。『量子コンピュータ』はもはやSFの範疇だけに留まらず、ムーアの法則を更に加速させるポテンシャルを秘めている(注236)。
(注236)最近では、『ChatGPT(チャットジーピーティー)』というAIが、2か月でアクティブユーザー数1億人に到達し、大きな関心を集めている。ChatGPTは、“Chat Generative Pre-trained Transformer”の略で、OpenAI社が2022年11月30日にプロトタイプとして公開した「人工知能チャットボット」(注237)である。広範な分野の問いに詳細な回答を生成する能力により、注目を集めている。GPT、つまり“Generative Pre-trained Transformer”は、「生成可能な事前学習済み変換器」という意味であり、人間が自然と感じる表現で詳細な回答を生成する能力から注目を浴びている。OpenAIのGPT-3ファミリーの言語モデルを基盤に構築されており、「教師あり学習」と「強化学習」の両方の手法で転移学習が行われている。
『生成AI』と呼ばれる大規模言語モデルの登場により、「AI1.0」から「AI2.0」へと時代が移行しているとされる。「AI1.0」の時代では、顧客の購買予測の精度を向上させるために、またウェブサイトの閲覧数を最大化するために、各々のデータを収集してAIを作り上げる必要があり、個々のアプリケーションを作成するコストが高く、利益率が低くなるという課題が存在した。対照的に、「AI2.0」の時代では、大規模言語モデルが主役となり、全世界のデータを用いて訓練した一つの巨大な「脳」のような存在となっている。これは様々なタスクに対応可能であり、自動対話や動画生成などの目的に対して微調整するだけで利用できる。「ウィンドウズ」や「アンドロイド」などの基本ソフト(OS)の出現よりも大きなプラットフォーム革命とも言える。
なお、当該AI、「ChatGPT」もここで議論している「狭いAI」の範疇に入れられるものであり、決して「AGI」の領域に到達したものではない。
(注237)「チャットボット(Chatbot)」とは、「リアルタイムで短文のやり取りを行うこと」を意味する「チャット」と、「一定の作業を自動化するロボット」を意味する「ボット」を合わせた名称のこと。簡単に言うと、チャットでの質問に自動で返答するプログラムやアプリケーションのことである。
Googleのハートムット・ニーブン氏は、10年以内に量子コンピュータがAI分野の全てを担うようになり、現在のコンピュータはビデオカセットのように時代遅れなものになると予測している。
- 向上し続ける処理能力と、日々生成され続けるAIのトレーニングに利用可能な250億ギガバイトのデータがあれば、驚異的な速度での進歩が可能となる状況が整いつつある[補注]。
[補注]ごく最近では、ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長は2024年6月21日の株主総会で「『汎用人工知能(AGI)』は3〜5年以内に来る。『人工超知能(ASI)』が10年前後で来る」と述べた。「孫正義はASIを実現させるために生まれてきたのだと本気で思う」とも強調した。昨年10月の法人向けイベントではAGIが10年以内に実現すると話していたのだが。ASIは人間の知能を超えた学習・解析能力により、様々な課題で全く新しい解決策を編み出すと期待されている。孫氏は「ASIはAGIが脳の神経細胞のようにつながったものだ。ASIはどの天才よりも1万倍賢い」と述べた。
ここで紹介した3つのアプローチ以外にも様々な変化系はあるものの、結局は「モデルを作るか」、「エキスパートに聞くか」、「データから学ぶか」のいずれかが基本的な方法である。解決すべき課題に応じて最適なアプローチが決まるため、これらのいずれか一つがAIを作る「正しい」方法であるわけではない。
ただ、この3つの手法はそれぞれがAIを作成する正当な方法であるものの、「AGI」(Artificial General Intelligence)という分野は全く異なるもので、その実現には全く新たなアプローチが必要となる可能性がある。すなわち、
- 設定されていない課題も解くことが必要なAGIの設計は、特定の範囲の課題を解けばよいというAIの設計とは根本的に異なるものであるかもしれない。
誰も確たる証拠を持っているわけではないし、専門家の間でも意見が分かれるところである。
なお、AIにとって最も適した形状は、物理世界と直接関わりを持つことが可能な形状、すなわち『ロボット』であると考えられる。
- 実際に、AIという技術は、自身に物理的な体が与えられ、外部環境とのインタラクションを通じて学習することができる状態にならなければ、ある一定のレベル以上に進化することが難しいと考えられている。
優れたロボットを作成する技術は、新たな合金、高性能のバッテリー、高性能のセンサー、より効率的な移動方法の開発に伴い、やや進行が鈍いながらも着実に進化している。しかしながら、ロボティクスの分野が再び注目を集め始めたのは、これらの進歩そのものよりも、現在開発中の高性能AIとロボットを組み合わせることで、何か特別な事象が起こるのではないかという期待感からである。
つまり、私たちの生活環境と相互作用が可能なAIロボットの実現が、我々の次の目標である。
第6章 ロボット
太古から続くロボットへの憧れ
人類は古代からロボットに対して憧れを抱いてきた。ロボットに作業を行わせたいという願望は新しいものではなく、古代の文学においてもその願望は多く見受けられる。アリストテレスは著書『政治学』の中で、ダイダロスが作った、縛り付けておかなければ逃げ去って無くなってしまう動く彫像について書いている。また、オリンポス山を自力で登り下りしたとホメーロスが伝えたヘーパイストスの三脚にも言及している。アリストテレスは同じ著書の中で、自分達に代わり仕事をしてくれる装置を発明できれば、奴隷はなくなるとも述べている。
人造人間は世界中の神話の中にも数多く登場する。例えば、クレタ島を守る青銅のタロースのように、強大な戦士の形をとるものがある。神話の中で描かれる彼らは、機械的なメカニズムではなく魔法で動き、その人工体は意志を持ち、特定のミッションが与えられている。
科学の時代が訪れると、大衆文化に登場するロボットは魔法ではなく、より現代的な方法で動かされるようになった。メアリー・シェリーの1818年の小説『フランケンシュタイン』に登場するクリーチャーは金属製ではなく、人間の身体の部分から作られ、科学の力で生命が吹き込まれている。
そして更に現代に近づくにつれて、事態は一段と興味深くなってきた。1859年にダーウィンの『種の起源』が出版されると、本は海を渡りニュージーランドまで届けられた。それを手に入れた牧羊家で作家のサミュエル・バトラーは、ろうそくの明かりの下でむさぼるように読んだという。彼は、ダーウィンの原理を機械に応用すれば、機械も意識を持つように進化し、人類を地球上から取って代わる存在になる可能性があると考えたのである。
20世紀にはいると、ロボットは確固とした科学の産物となった。『ロボット』という名前はスラブ語の「奴隷」という言葉に由来する。チェコの作家カレル・チャペックによる造語で、1920年に彼が発表した戯曲『R.U.R.(チェコ語:ロッサム万能ロボット会社)』に初めて登場した。劇中、ロボットの発明者であるハリー・ドミンは、1世紀後の現代の技術楽観主義者(テクノ・オプティミスト)がするのとまったく同じ予測をしてみせる。
「十年のうちには、ロッサムの万能ロボットはトウモロコシでござれ服地でござれ、ありとあらゆるものを大量に生産しているでしょうから、モノの値段というのは、事実上なくなってしまうでしょう。もはや貧困はない。一切の仕事は生きた機械が行う。誰もみな心配事から解放され、労働という不名誉から解放されるはずです。だれもがみな、自分自身を完成させんがために生きるようになるでしょう。」
この作品に登場するロボットはバイオメカニクス(生物の身体の仕組みや動きを力学的に研究する分野)に基づいて製造され、人間が嫌がる単調な仕事を何でもこなすよう設計されている。ロボットはこのような仕事を続けても心が折れたりしない。なぜなら、魂や感情、情熱を全く持っていないからである。結果的に、人間は全く働かなくなり、ロボットがすべてを担当するようになる。そして最終的に、ロボットは人間を滅ぼす決断をし、反乱を起こすのであった。
近代のロボットは総じて、人を助ける役か、滑稽な引き立て役として描かれていた。「スターウォーズ」のプロトコル・ドロイドC-3POをはじめ、ロボットは確かにフィクション作品の重要なキャラクターであり、数えきれないほどの役を演じてきた。「宇宙家族ジェットソン」に登場するメイドロボット、ロジーの存在を記憶している人もいるかもしれない。この番組は1962年に制作され、その舞台となる年は2062年であった。つまり、私たちは現在、番組が制作された時よりも舞台となる年に近い時代を生きているということである。しかし、ロジーの誕生の気配はまだ見えない。それでも、現在存在するロボットはある意味でロジーを上回る存在である。私たちはパソコンのCPUなど、人間が達成できないことを行う多くのデバイスに依存して生きている。これらのデバイスが遂行する仕事は人間の能力をはるかに超えており、ロボットでなければ成し遂げられないことである。
私たちは長い間、3つのDがつく仕事をやってくれるロボットの実現を夢見てきた。すなわち、汚い(Dirty)、危険で(Dangerous)、退屈な(Dull)仕事である。あと4つDを足してもいいかもしれない。嫌われる(Disliked)、屈辱的な(Demeaning)、きつい(Draining)、嫌でたまらない(Detestable)仕事。これら全ての仕事をロボットに任せたいと考えている。なぜなら、ロボットはこれらの仕事について何も感じずに行えるからである。
あらゆる仕事をロボットにやらせたいと望む人すらいる。そのような未来では、工場は自動的に稼働し、生命維持に必要な全ての物資は人間の労働を介さずに供給される。そこでは技術により莫大な富が生み出され、「生活のために働く」という概念自体が存在しない。長い歴史を通じて続いた労働と生存の結びつきがついに断ち切られるのである。
さらに、私たちの日常生活を支えるヘルパーロボットの存在を望む声も多い。トヨタは、長寿化と少子化による介護者不足を補うために、高齢者介護ロボットの開発に1,000億円を超える資金を投じている。ソニーは人間と感情的につながることができるロボットを作ることを目指している。こうしたデバイスは確かに、人々が自律的に生きることを支援し、人間としての尊厳を向上させる可能性を秘めている。また、災害救援ロボットの実現を求める声もある。これらのロボットは災害地に派遣し、人間が直面する困難な状況を解決することができる。
ロボットに対する恐怖
では、ロボットに対して私たちが抱いている恐怖にはどういったものがあるだろうか。いくつかあるが、最初の、そして最大の恐怖は、
- ロボットが私たちと労働市場を取合い、しかも私たちが負ける
という可能性である。
現時点では、ロボットは我々人間に対して経済的利益をもたらす一方である。ロボットの存在によって、我々はより複雑で価値のある仕事に従事することが可能になった。だが、この流れが我々にどのような結果をもたらすのかは未知数である。ロボットが多数、あるいは大半の仕事を人間よりも高い効率で遂行できるようになった場合、どのような状況が生じるであろうか。
製造業の本質的な特性、すなわち時間の経過とともに価格は下降し品質は向上するという傾向は、この恐怖を増幅させる。すなわち、ロボットもまた、より安価で高品質な存在に進化していくことである。それは無限に続く。結果として、ロボットの労働力が人間の労働力を価格の面でも質の面でも上回る日がくるに決まっている、と私たちは恐れているのだ。スキルが乏しい人間が労働市場から永遠に締め出されるのではないかという懸念が生じる。例えば、ファストフードを調理できるロボットが1万ドルで購入できる場合、15ドルの時給を支払って人間を雇う意義はあるのだろうか。時給10ドルではどうだろうか。あるいは、さらに低い時給ならどうだろうか。こうした置き換えが大規模に進行すると、経済力は労働者ではなく、ロボットを所有する者に集中するようになるだろう。
もう1つのよくある懸念は、映画「ウォーリー(WALL-E)」的な未来がくる可能性である。ウォーリーの世界では、
- 人間は働く必要がなく、全く動かない生活を続けている。そして、機械が自律的に労働し、全ての仕事を代行してしまうため、人間は脳までもが退化してしまっている。
さらに、
- ロボットに対する愛着が深まるあまり、人間間の絆を上回る強いつながりが人間とロボットの間に生まれるのではないか、
という懸念もある。
あなたの祖母のそばに、よく気が利くロボットのヘルパーがついていてくれるなら、あなたが祖母をどうしても訪ねなければいけないということはなくなる。ロボットの連れ合いは実際、配偶者の代替としてふさわしいように思えるし、ロボットの友人は人間の友人よりも信頼できそうな気がする。こういった未来やロボットとの関わり方を望む人々は少なからずいるが、これは全ての人に当てはまる恐怖というわけでもない。
そして、
- 究極の恐怖はロボットの反乱である。
冗談半分に語られることも多いが、人間のひどい仕打ち、あるいは技術的エラー、はたまた予期せぬ創発的な行動をきっかけにロボットが人類に敵対し始めるというポピュラーなシナリオはいくつかある。そして、世界中の軍隊がより優れた殺人ロボットの開発に日夜明け暮れていることは、紛れもない事実である。
